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企業のDX化、成功のキーポイント|なぜいま標準導入(Fit to Standard)なのか?
経済産業省が日本企業に対してDX推進を提唱した「DXレポート」の発表から、もうすぐ3年が経とうとしている。果たして企業のDX化は進んでいるのだろうか?
DXが推進された背景には、あらゆる産業において、既存の事業が破壊され、新たなデジタル技術を使いこれまでにないビジネスモデルを展開する新規参入者が登場し、各市場でゲームチェンジが起きていることがある。
各企業は、競争力強化のため、最新のデジタル技術やデータを活用しながら顧客ニーズを素早く掴み、顧客が飛びつく製品・サービス・ビジネスモデルを素早く世に送り出すことが急務となっている。
今、DXというキーワードと共に市場は大きな変化の中にある。大きな流れは、その中に居るほど気づきづらいが、取引先が変化するかもしれない、競合先が変化するかもしれない。既にディスラプター(市場破壊の意を持ち、デジタルテクノロジーを駆使し、市場に大変革を起こす企業)がそこまで来ているかもしれない。アフターコロナ・ウィズコロナは事業へどのような影響を与えるだろうか。各企業は、自社の方向性を探りながら、事業環境の変化に柔軟に、しなやかに対応できる必要がある。これは「そうであればいいよね」というレベルではなく、いまや事業継続のために必須の条件にすら見える。
こうした中、企業のDX化を成功へ導くのが、企業の経営戦略だ。そして経営を支えるのは、経営情報を一元管理する基幹システムの存在なのである。経営判断に速度が求められる中、それを支える経営情報は、リアルタイムで把握できる必要がある。経営戦略の現状の把握・課題の抽出・方向性の修正がすぐできるデータが揃わなければ、企業の死活問題となりうる。
事業環境が変化する中、自社も変化する。
これからの基幹システムは、導入だけでなく導入後の経営戦略、事業環境の変化に対応できる必要がある。企業をこの先10年、20年と成長させていくには、基幹システム自体も継続して変化していく必要がある。まずは基幹システムが経営の足かせにならないよう、変化できるものであることが重要だ。そして、変化し続ける基幹システムの変化が、従業員の能力発揮を阻害することなく、むしろ生産性を向上させる「ユーザーにとって使いやすいシステム」であることも必要だ。
これまで、多くの日本企業はERPパッケージに追加開発を行ってきた。改修を行う理由は、日本という国で必要とされる対応、業界の決まり事への対応、取引先からの要求への対応など、これまで積み重ねてきた各企業の業務・ルール・オペレーションが基になっていることが多い。こうしたビジネス環境に合わせたパッケージへの過度なカスタマイズがレガシーシステムを生んでしまった。
そして、経営トップは「変えなければいけない」と十分な認識を持っていることが多い。
中長期に渡り企業成長を支え、変化対応に強いシステムを構築するために、「ERPパッケージ導入には追加開発を止めるべし!」と全社へ発信することもある。しかしそこには、「きれいな理想」と「窮屈な現実」と揶揄したくなるような相反が存在する。
この矛盾から、Fit to Standardについて考える際に、高い頻度でいただく質問がある。
- 標準導入という概念は理解しているが、本当に可能なのだろうか?
- Fit to Standardの考えはわかるが、なぜ今?必要なのだろう?
今回の記事では、皆さまからの疑問をERPパッケージ世界最大の利用者数であるSAP社のERP導入支援経験を豊富にもち、SAP社での勤務経験、コンサルティング会社での導入経験など豊富なお二人に尋ねてみることにした。ぜひ、皆さまのご参考になればと思う。
- 広川 敬祐 氏
- ヒロ・ビジネス株式会社
- 代表取締役 公認会計士 情報システム学修士
- 日本公認会計士協会東京会幹事
- 大学3年で公認会計士試験(二次)に合格し、外資系監査法人での10年の経験を経た後、1994年にSAPジャパンに転職。退社後はコンサルタン卜業で独立し、これまで本稼働に関わったERPは50社を超える。NTTデ-タ系コンサルティング企業にて、ITガバナンスやプロジェクトマネジメント業務の経験を有する。2019年に東京都立産業技術大学院大学情報アーキテクチャ専攻を修了し、現在公立はこだて未来大学システム情報科学研究科博士後期課程で就学中
- ヒロ・ビジネス株式会社
- 松田 裕介
- 伊藤忠テクノソリューションズ株式会社
- ERPソリューション推進第2部
- S4HC認定コンサルタント(Procurement)
- ITストラテジスト スクラムマスター
- 大手電力系の情報会社にて、主に資材調達関連システムの開発・運用・保守に従事した後、外資系大手ERPベンダーに転職、ERPコンサルタントとして主に製造業向けのERP導入プロジェクトに従事
- その後、CTC(現職)に転職し、主にプロジェクトマネージャ・PMOとしてERPパッケージの導入に関わる。現在は、ERPと他クラウドソリューションとのインテグレーション分野のソリューション開発・導入支援を行っている
- 伊藤忠テクノソリューションズ株式会社
▼ 標準導入に関してよくあるご質問
・追加開発が多い長期稼働中システムだが、順調に稼働しており、特に問題を感じていないケース
・トップによる標準導入推進と、現場による“本当にできるか?“不安が入り混じるケース
・Fit to Standard(標準導入)に取り組む企業の生の声、事例を聞いてみたい
1. 現在システムが稼働していて、特に問題を感じていないケース
Q1. 現行システムは特に問題なく稼働している。DXレポートで古いシステムが“足かせ”、と言われているが、いったいなにが“足かせ”なのだろう?
松田:要因としては、大きく次の2つであると考えています。
- システム的な足かせ
- たとえば、CX(カスタマーエクスペリエンス・顧客体験)の向上を目指し、社外向けのWebシステムやモバイル向けアプリを作成しても基幹システムとの連携ができず、機能に制約が発生してしまうケースや、データ分析をしたくとも、基幹システムからデータが抽出できず、思うように分析ができない、などが挙げられます。
- 予算・人員などリソース的な足かせ
DXレポートでも触れられていたように、既存システムの保守・運用でIT予算の大部分を使っているため、新しいことに予算が使えない企業様が多いことです。
- DX人材を育てようにも、IT部門に所属している人材は現行システムの保守・運用に忙しいことが多く、DXに対応した新しい技術の習得や検証ができないことも大きな問題として、近年、問われています。
広川:そうですね。「システム的な足かせ」をひと言でいうと、イコール、「レガシーシステム」。DXレポートでもレガシーシステムの弊害について言及されていました。レガシーシステムとは、「代替すべき新しい技術などのために、古くなったコンピューターのシステムや技術等のこと」ですが、企業によってはこれまでのノウハウの結晶のごとく、そのシステムが企業経営の生命線であるかのように考えているケースも見受けられます。たしかに数十年前にシステムを構築した時は最新鋭のものであっても、数十年経った今はそれが陳腐化してしまい、企業の成長を止めている「足かせ」となっている原因であることに気づく「とき」にきています。
2. トップによる標準導入推進と、現場による「本当にできるのか?」という不安
Q2-1. 標準導入という概念は理解しているが、標準導入による刷新・導入が必要なのだろうか?
松田:多くの企業が、SAPを含めたERPパッケージのバージョンアップに対して、想定以上のコストが掛かることや、技術者が足りずに苦慮している現状を見ると、ERPパッケージを選択し導入すると決めた際には、将来のバージョンアップを見据えてERPパッケージには追加開発をしない( = 標準導入)が必要です。
かつてERPパッケージを導入した際に夢見た、「最新の機能を享受できる」「バージョンアップをしながら使い続けられる」といった考えや、ERPパッケージのメリットは、その後に重ねてしまった多すぎる個別開発(アドオン)によって実現・享受できないだけでなく、バージョンアップするだけで、導入時と同じくらい(場合によってはそれ以上)の費用が掛かることに驚愕し、落胆した企業様も多いと思います。
現在は、ERPパッケージに手を加えることなく、ERPパッケージに足りない機能や自社独自の機能を実現(拡張)する方法が豊富にあるため、「標準導入」の対義語である「アドオン開発」を敢えて選択する必要もなくなっています。
広川:かつてERPパッケージを導入した際は、「標準導入でいくんだ!」はトップの掛け声だけだったと言える。トップがそう言ったとしても現場では「そうは言うけどね。現場はそれじゃ業務が回らないんだよ」と、トップと現場、現場とシステム構築の主体者とにギャップがある時代でした。今や、そうは言っていられない時代に突入しています。
Q2-2. 「やらなければ」となっても「できるの?」と現場は考える。標準導入によるERP導入は基幹システムのコアがクリーンに保たれ柔軟性があることはわかる。そもそもSAPなどは海外製品であり、日本の商慣習を反映しているとも思えないが、本当にできるのだろうか?
松田:日本の商習慣が反映できていない部分ももちろんありますが、SAPに関していえば、日本の商習慣に合わせて取り入れてきた機能も多くあり、「有償支給」などは日本発の機能としてよく知られています。
一方、日本固有の商習慣といっていたものが、本当に変えられない商習慣(業界全体の商習慣)なのかどうかを、今一度、吟味する必要もあります。「業界固有」の商習慣と思っていたものが、実際は「自社(と自社を取り巻く協力企業)固有」の商習慣ではないのか?そしてそれは本当に変えられない「商習慣」なのかどうか、を見極めることも大切です。
十分検討したうえ、どうしても必要な要件であれば、PaaSやローコードツールを活用した開発、他SaaSの活用など、ERPに手を加えることなく、個別要件・業界固有要件を実現する手段が、現在は豊富にあります。
標準導入を考える際、すべてをパッケージに合わせることを「是」とするのも、これもまた誤りなのです。企業の競争力の源泉であり、ERPパッケージでは実現が難しい要件であれば、PaaSやローコードツールを大いに活用し、DXへの取組と同様、その機能を手の内化(内製化)し、どんどん進化させることが重要と考えています。
広川:日本の商習慣や法令で必要なことは、本来、ERPベンダー側で対処する事項です。日本固有の要件で標準機能にないものはどんどんERPベンダーに言っていき、ERPベンダーの責任で具備すべき要件であると、わたしは考えています。本来、ERPに具備されて然るべき機能が不足している場合、ユーザー側で開発を余儀なくされるのはナンセンスなんですよね。ユーザー側で開発コストを負担するものではないはずです。
松田:その通りですね。日本固有の商習慣や法令に対応できていない事項があれば、ERPベンダーが責任もって対処すべき事案であると思います。最近はSAP社も、国固有の要件に柔軟に対応するようになってきており、特にS/4HANA Cloudに関しては、以前では考えられないほど早いスピードで、要望を取り入れるようになったと感じています。日本固有だから、海外製のERPパッケージだから、と諦めるのではなく、JSUG等のユーザグループを活用しながらしっかり要望を伝えていくことも重要だと思います。
Q2-3. 10年前はパッケージを標準で使いますと言えば、「馬鹿なこというな」と言われたものだが、今は何が違うのか?
松田:EPRパッケージの持つパワーが最大限に発揮されるのは、標準で導入された場合であることは、今も昔も変わりません。
ERPパッケージが広く認知され始めた2000年初頭においても、「標準導入(業務をパッケージに合わせて極力アドオン開発を行わない)」を目標に掲げ導入プロジェクトを推進した企業様が多かったと記憶しています。しかし、いざプロジェクトが始まると、現場の声におされ、なし崩し的にアドオン開発を重ねていった企業様が非常に多かったのも事実です。
当時と現在で違う点は、以下3点であると考えています。
- 企業が、アドオン開発を行うことによる問題を認識している
- 多くの企業が、アドオンによる弊害(最新機能が享受できない、バージョンアップに多大な費用と労力がかかる)を実体験したことで、以前より標準導入の重要性が広く認知されていると感じている
- 世の中の変化のスピードが、長い年月をかけた基幹システムの開発することを許容しなくなった
- 現在は、時間をかけて基幹システムを導入すること自体がリスクになっている
- 事業環境が日々変わっていくため、要件定義してから稼働するまでの期間が長くなることで、稼働時点の事業環境とのミスマッチが発生するリスクや、基幹システム構築プロジェクト中の事業環境の変化に対するシステム変更やDXへの取組が停滞するリスクなどが挙げられる
- アドオン以外の選択肢が急増してきた
- かつて、1つのERPパッケージで多くの基幹業務をカバーする・できることが良しとされ、足りない・合わない機能はERPパッケージの中に作りこむ「アドオン」が中心となっていたが、現在は、SaaSなど様々な周辺ソリューションと組み合わせることで、各社、最適な組み合わせで基幹システムを柔軟に構築することが可能となっている
このためにSAPを中心としたERPベンダーは、他のシステムとのインテグレーション技術やオープン系技術を取り入れた開発技術(Side by Side開発)に非常に力を入れています。(SAPは、SAP BTPがインテグレーション技術や開発技術の中核を担っています)
足りない機能はアドオンで作るのではなく、無数にあるSaaSサービスの中から最適なサービスをチョイス、または、SAP BTPやAWSなどのPasSを活用し独自性があり企業の競争力の根源となる機能を内製化する、こうしたERPの活用方法が現在の世界標準となっています。
広川:松田さんのおっしゃるように、10年前に比べ企業がアドオン開発を行うことの真の問題を認識しています。10年経過すると、バージョンアップの機会が何回となくあったはずで、その度にバージョンアップの大変さを経験する中、アドオンをしたらダメという「ダメな理由」を実体験として痛感し、アドオンに懲りているとも思えます。
松田:私がSAPのコンサルタントとして活動し始めたのが2004年でした。その頃と比べると、アドオンに対する認識が大きく変わってきていますね。以前は、アドオン開発する「開発コスト」が問題視されていました。「せっかく高価なパッケージソフトを入れるのに、なぜ追加開発でさらに費用をかけなければいけないのか?」という視点が中心でした。今は、アドオン開発することで発生する将来的な問題(バージョンアップする際の費用や、システム変更に対する柔軟性の欠如など)を視野に入れて、アドオン開発の是非が議論されています。
3. Fit to Standard ( 標準導入 ) に取り組む企業の生の声、事例を知りたい
成功した現場では何が起こったのか?簡単でないことは想像できる。ぜひとも生々しい話を聞いてみたい。
Q3. 実際のところどれくらいの割合で世の中取り組んでいるものなのか?
松田:ERPパッケージを導入するほぼ100%の企業が、Fit to Standard(もしくは標準導入)を合言葉にプロジェクトを推進していると推測しています。そして、標準導入に成功するために重要なことは「経営トップの意思」と「プロジェクト体制」にあると考えています。
基幹システム導入プロジェクトは、プロジェクト参画メンバーに非常に大きな負担を与えることになります。加えて、現場から上がってくる様々な声(多くは変わることへの不満や不安)が重荷となり、プロジェクトを進めるうちに、疲弊し保守的になっていくプロジェクトメンバーをたくさん見てきました。
このような状況を打破できたプロジェクトでは、経営トップがプロジェクトを気にかけ、時折、進捗会議などでプロジェクトに対する期待やメンバーに対する感謝の気持ちを伝えたり、経営トップ自らの言葉で社内、ときに社外に向け、プロジェクトの重要性、そしてプロジェクトメンバーの努力・貢献を繰り返し発信していた企業です。
また、プロジェクトに参画する人員構成も重要なポイントとなります。
ある企業様では、プロジェクトの各チームリーダーに、社歴5年程の中堅になりたての社員を選定し、チームメンバーに管理職や社歴の長い社員を選定されていました。
チームリーダーは、「これからは自分が会社を引っ張っていく・業務を考えていく」という熱意とオーナシップをもって取り組み メンバー社員は、長い経験に裏付けされた知識、そして部門を跨った人間関係をフルに活用しチームリーダーを支え、時に後押しする、といった、とても良い関係性の中でプロジェクトを推進し、成功へ導きました。補足ですが、プロジェクトに参画したチームリーダーは、プロジェクト解散後は、各現場で中核メンバーとして大変ご活躍されているそうです。
広川:「Fit to Standardに取り組み、成功している企業などないのでは?」と考えていらっしゃる方がいらっしゃるのですが、なぜ、そのように考えるかといえば、成功している企業の「成功体験」の声がなかなか聞こえてこないからだと思えます。たしかに、基幹システム構築の成功は、自社内で喜べば十分であって、他言する必要性はあまりないのですが、実際には、表に出ないFit to Standardの成功例は数え切れないほど存在しています。
成功例はシステム構築に携わったコンサルタント会社やIT企業がその情報を持っています。ただし、成功した企業からむやみやたらに口外するなと釘を刺されているので、普段目にすることはありません。動かないコンピューターのように失敗例に目が留まることは多くても、本当の成功例は秘匿されているので、積極的に情報収集をしていく必要があります。
松田:広川さんがおっしゃる通り、準大手や中堅企業でのFit to Standardの成功事例は数多くあるんですよね。大手企業が苦労してERPを導入した事例がクローズアップされがちですが、その裏で着々とFit to StandardでERPを導入し、DX基盤を準備している企業はたくさんありますね。
広川:Fit to Standardの成功事例、生の声を聞けるような機会、ぜひ、ご興味のある方々向けに設けたいですねちなみに、「開発しないシステム導入のポイント」(中央経済社刊)という書籍を2021年3月に出版しています。いかに開発しないで(≒Fit to Standard)、基幹システムを構築していくかのノウハウを綴っていますので、ご興味のある方はぜひ読んでみてください。
松田:出版記念として「開発しないシステム、導入のポイント」のセミナーを広川さんが開催された際は、反響がとても大きく、皆さんの標準導入に対する関心の高さが伺われましたよね!現場の生の声を聞いてみたい方や、SAPの新規導入やアップグレードを快適に実施したい方は、ビジネスon ITのメールマガジンでイベント・セミナー情報をお知らせいたしますので、ご登録していただければと思います。